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「先生と将棋の神様」

将棋を覚えて3ヶ月。友人2人と共に臨んだ初めての大会は、残念な結果に終わった。

意気消沈して帰ろうとしていると、後ろから声が聞こえた。

指導対局受けていきませんか?」

 指導対局?怪訝そうな我々にその男性は続けてこう言った。

「最後の空きがあるんですよ」

なんでも、プロの先生が同時に10人を相手に対局するようだ。

せっかくだから受けてみよう、我々の意見は一致した。

 

3人並んで座ることになった。私は一番右端である。

駒を並べながら、手合いの話になった。

「飛車と角を抜いてもらおうかな」

どうやら友人2人は、ハンデをつけてもらって対局するらしい。

「で、お前はどうするの?」

私は間髪入れずにこう答えた。

「もちろん、このまま。ハンデはなしで」

友人達は目を丸くして、まじまじと私を見つめている。

「正気か?相手はプロの先生だぞ?勝てるわけないだろ」

2人は同時に口を揃えた。

「そういう問題じゃないんだよ。俺の闘争本能が全力で挑みたがってるんだ」

お前らしいな、と苦笑いする友人達。

私もつられて笑った。心臓の高鳴りが最高潮に達したその瞬間。会場が騒がしくなった。

佐藤康光竜王だ!」

ギャラリーから声がとんだ。

プロの先生についてはほとんど知らなかったが、佐藤康光先生の名前は知っていた。

後から、プロの先生が次々に入場された。

その中で、明らかに発しているオーラが違う先生がいた。まるで剣豪のような雰囲気である。幼心にただならぬ気配を感じた。

そして、その先生こそが我々の対局担当だった。一人ずつ手合いを尋ねながら、対局が開始されてゆく。いよいよ、私の番になった。心臓の音が、会場中に響き渡っているかのような錯覚を覚えた。

「手合いはどうしますか?」

優しく柔らかい口調だった。

「このままでお願いします」

すると、先生の眼光が一気に鋭くなった。

私は、全身が総毛立つのを感じた。

「…分かりました。では先手でどうぞ」

「お願いします」

互いに一礼を交わし、対局が始まった。

プロの先生に教えていただく時には基本的に駒落ち、と知るのは随分後になってからだった。

 

先生はものすごい早指しで、次々と終局していった。友人達もどうやら敗れたようである。

「玉はしっかり囲うこと」

棒銀は遊ばせないように、飛車と銀で協力して攻めるのが大切」

とても丁寧なアドバイスをいただいたと、対局後に友人達が教えてくれた。

一方その頃。私は、全身全霊で盤面に没頭していた。先生の繰り出す一手に夢中だったのだ。

全力で攻めたが、先生の守りは鉄壁で全て跳ね返された。

いつまでもこの時間が続けばいいのに。形勢がいよいよはっきりして、ちらりと先生を見た。私は、思わず声をあげそうになったのをかろうじて飲み込んだ。驚いたことに先生の眼光はさらに鋭さを増していたのだ。勝負はもう決定的なのに…?私は、一瞬疑問に思ったがすぐに合点がいった。先生は、勝敗を越えて、将棋の真理そのものを追求しているのではないか。そのプロフェッショナルな姿勢に、胸に熱いものが込み上げてきた。そして、とうとうこの時がやってきた。

「負けました」

私は、はっきりした声でそう告げた。

先生は、それに対して深く一礼された。

そして、始まった感想戦。他とは違って、とても静かなものだった。先生は、時折天井を見上げながら思惑にふけっておられた。

「本当にこの一手は最善だったのだろうか?」

その姿は、まるで将棋の神様と対話されてるように私には思えた。

桂馬は中央に活用した方がいいですよと、教えてもらって感想戦は終わった。

「先生、あの…」

私は、勇気を振り絞って聞いた。

「私の実力は何級くらいですか?」

思わぬ質問に先生は少し戸惑っていたが、しばし考えられて、

「そうですね…3級くらいですね」

もう少しで初段!?私は、天にも昇るような喜びにかられた。

 「先生!これからもがんばってください!」

私の弾んだ声に、初めて先生の表情が緩んだ。はにかむ、という表現がぴったりの最高の笑顔だった。

「すいません、ここにサインお願いします」

色紙は持ち合わせていなかったので、大会のパンフレットを差し出した。

先生は1文字、1文字心を込めて丁寧に書いてくれた。そうして、戻ってきたパンフレット。

そこには力強い文字ではっきりと

「五段 三浦弘行」と書かれてあった。